神社に参拝すると、必ず御神籤を引く人…多い気がします。
そんな私はというと、実は「決め所」に限って引いています。
御神籤、他にも御籤や仏籤、神籤などとも書き、最近では、開運みくじや縁結びみくじとして様々な形、それにラッキーアイテム付きのものなど、バラエティがどんどん豊富になってきていますが、そのルーツについて、ご存知でしょうか?
神社は祈りを捧げ、お願いをするだけの場所ではなく、神様のお告げを頂く場所でもありました。そのお告げ、代表的なものとして宇佐八幡宮神託事件や同郷事件として知られる、天皇位継承を確定させるような国の行く末を左右するものでもありました。
御神籤の元祖は天台宗の元三慈恵大師良源上人(912-985)とされていますが、個人の行く末を占うようになったのは、鎌倉時代初期からと言われています。当時は複数の籤を自分で持ち込んで、その中から選んだものを神託としたようですね。
先程も書いたように、バラエティが豊かになってきた御神籤ですが、その文体は以前から平易なものや和歌、また漢詩が添えられているものがあったり、吉凶が書かれていないものがあったりと、従来から内面的なバラエティは寺社によりいろいろありました。
が、この様に色々な御神籤が、実は殆ど一社独占で作られている、そして輸出までされている事は案外、知られていないように思います。
その会社は「女子道社」と言い、明治時代に山口県周南市の二所山田神社 宮司 宮本重胤が女性自立を目標として創刊した機関紙「女子道」の運営資金獲得のために設立した会社です。
宮本重胤さん、15歳のときに女性啓発の託宣を受け、それ以後、女性神職の採用など実に開明的な動きを見せます。それゆえ、「女子道」は何度も発禁処分を受けていたそうですが、各所の神社で女性が宮司さんを務められる神社が増えた今では、ちょっと信じられない状況だったのでしょう。
さて、御神籤自体に話を戻しましょう。
よく引いた御神籤を木の枝に結びつける様子が見られますが、これは「縁」結びに掛けた行為のようですね。江戸時代からの風習だと言います。ただ、木の枝に結びつけると木を傷めてしまうので、神社が用意する御籤掛けに結びつけましょう。というか、御神籤に書かれた事は、本来、神様のお言葉です。吉凶にかかわらず、持ち帰って読み直す方が良いんじゃないかなぁ…と思うのです。