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拍手とは

神社に参拝すると「二礼二拍手一礼」と書かれている立て札を見ることがありますね。「礼」はお辞儀ですから、神様を目の前にした振る舞いとして判りやすいのですが、拍手となると「?」となります。
実は、この理由、はっきりしていないようです。ただ、起源となると相当に古く、
 「大人の敬う所に見うときは、但だ手を搏ちて以って跪拝に当つ 」
という記述が魏志倭人伝に見られます。
意味は「偉い人に会うときには、手を打って跪拝の代わりとする」
となります。
跪拝とは跪いて拝むことで、古い中国大陸の風習です。その代わりとして日本では拍手を打っていたと理解されています。なんで、わざわざそんな事を書いたのか?と考えると、そもそも中国大陸とは全く違う風習を見て記録したとも解釈ができます。それだけ日本古来の振る舞いだったと言えるのです。
だから、二礼二拍手一礼と言った行為は、お辞儀と拍手とで貴き存在に対する敬意を日本古来の行儀として今に伝えていると理解して良いのではないでしょうか?

二礼二拍手一礼が決まりなのか?

ただ、二礼二拍手一礼が古い形式なのか?と言えば、そんなコタぁねぇ。になります。まず、出雲大社教や古式神道の多くでは二拍手では無く四拍手としています。また、出雲大社の例祭や伊勢神宮の神職などでは八拍手などもあるのです。
実は、この二礼二拍手一礼は明治時代に入ってから「全国標準」とされた形で、それ以前は神社によってマチマチだったようなのです。
「新しい形式なら、どうでも良くね?」と言われそうですが、心無く八拍手をして行列を長くするような真似や省略のしすぎでは、神様への敬意がどこか遠くに行ってしまいそうです。それなりに先人が考えた形式を馬鹿にするものでは無いと思います。

拍手が邪魔になることも

ただ形を守っていれば、それで良いというものでもありません。2つほど拍手が邪魔になるケースがあるので書いておきます。
1. お寺にて
お寺は仏教です。「日本のお寺なら神道と同じ二礼二拍手一礼で良いじゃないか」というのは傲慢ですね。最近では神道や神社に関心を持つ人が増えたせいか、神社で二礼二拍手一礼をする人も増えたようですが、それと比例してお寺に「拍手は神道です」などの立て札を見る機会も増えたように思います。
お寺では静かに手を合わせてお祈りしましょう。
2.幅を取る
初詣や例祭などで混雑した賽銭箱前。そこでおおきく振りかぶってからの拍手は隣の人に当たってしまい、下手をすれば怪我を負わせる危険性すらあります。
振りかぶりは自分の肩幅までに抑えましょう。

ん、柏手じゃ?

ここまで「拍手」と書いてきました。使っているGoogleの日本語入力で「かしわで」と打つと、「柏手」は出てきますが「拍手」にはしてくれません。音からすれば「柏」、柏の葉が手の形だから「柏手」で良いように思われますが、正しくは「拍手」で「かしわで」です。他に「開手(ひらて)」とも書きますが柏手は誤用とされています。