五百羅漢寺

御由緒

 一見、コンクリートで囲まれた美術館のように見える目黒の五百羅漢寺。実際には江戸時代も最も盛んな元禄8(1695)年に創建された古いお寺です。
 五百羅漢の名の示すとおり、沢山の羅漢像が見守る堂内は一種独特の雰囲気が感じられます(拝観有料)。この多くの羅漢像を含む仏像は松雲元慶が独力で彫り上げたもので536尊あったと言います。松雲と師である鉄眼道光とが本所五の橋の南、現在の江東区大島三丁目付近に土地を賜ったのが寺としてのスタートです。この松雲、貞享4(1687)年、40歳で江戸へ来て托鉢で資金を集めて、コツコツと彫り続け、その努力が桂昌院(5代将軍 綱吉の生母)からも資金の提供を受けて遂に500を超える羅漢像と寺を建てたのですから、その執念には恐れ入りますし、その執念が今も、独特な雰囲気を漂わせているのかもしれません。
 正徳3年(1713年)に三代目の羅漢寺住持として象先禅師が就任すると、本殿、東西羅漢堂、三匝堂などをもつ大伽藍となり、象先は中興の祖とされるようになります。しかし、安政2(1855)年の大地震で大きな被害を受けた上に、明治の廃仏毀釈によって寺勢は一気に衰退してしまいます。この衰退の中で、仏像の多くが流出するなどして現在ある305体にまで数を減らしてしまいました。明治20(1887)年、境内地は本所緑町(東京都墨田区緑4丁目)へ移り、そして明治41(1908)年、今の目黒へと移転してきたのです。
 その後、戦争を経て寺は再び衰退の危機に陥りますが、昭和13(1938)年に入寺した安藤妙照尼の尽力で持ち直したと言います。なお、この妙照尼、元々は新橋の芸者さんで源氏名は「お鯉」だったそうです。そして、更に総理大臣の桂太郎のお妾さんとしても知られた存在だったそうですが、後に出家して五百羅漢寺を守ったのです。今、本堂脇には「お鯉観音」が祀られていますが、これは妙照尼の仁徳を祀ったものだそうです。
 元は黄檗宗の末寺として建立されましたが、現在は単立となっています。この変化はお鯉さんの時代に起こったようです。

私見ですが

 流出した羅漢像の多くは、どこへ行ったのでしょう?一部は世田谷観音寺で大切に安置されていますが、他のものについては、これと言った情報を持っていません。心あるお寺で祀られていることを祈るばかりです。
 さて、お寺に話を戻して…現在は昭和56年に建てられたモダンなお堂ですし、写実的な羅漢様の姿を見ていると近代の作品かと思ってしまいます。しかし、実際には江戸前期に作られた、しかも松雲一人が作り出した尊像かと思うと、どれだけストイックに生きていたのか。と想像するだけで鳥肌が立ちそうになります。
 文化財維持の為、羅漢様にお会いするには拝観料が必要ですが、松雲の体臭すら感じられそうなくらい間近でお顔が見られ、そして、その中には知り合いや親戚のおじさんに似た顔を探す楽しみもあったりします。お茶屋も併設されているので、目黒不動のついで参りには最適なお寺だと思います。

寺院概要

【山号】 天恩山

【院号】

【宗派、御本尊】浄土宗系単立/釈迦如来

【所在地】 東京都目黒区下目黒3-20-11

【アクセス】 JR 五反田駅からバス

JR 目黒駅から徒歩20分

東急目黒線 不動前駅から徒歩12分

【開山】 元禄8(1695)年

【ご朱印】 あり

※  限定御朱印あり

【ご朱印帳】 あり(限定もあり)

【拝観料】有料

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図