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西澄寺
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御由緒
天正2(1574)年、河内から来た隆向和尚が紀伊国高野山釈迦院より開山したとも言われますが詳細は不詳です。
明治維新前後から、無住化し荒廃したのですが、明治25年になって近江から来た慧荘和尚が高野山から派遣された形で第10世住職となると、本堂や庫裡などを再建を願い薬師堂で1000日の穀断ちの修業をしたと言います。そして高野山で修得した灸術を近郷の人々の救済を行いました。するとこれが霊灸と評判になり、大いに賑わったと言います。そして境内の梵鐘は、当時の患者さんが奉納したものだそうです。
山門は大正11年の本堂改築のにあたり、港区三田四国町にあった旧蜂須賀家屋敷門を移築したものと言われます。元来の状況を考えると番所に格子窓を設けるなど若干の変更が加えられているようですが5~10万石クラスの大名屋敷の門の形式や構造、装飾が遺されており、現存する武家屋敷門として非常に貴重なものとなっています。
本堂左側には高野槇の大木がありますが、これは開山の隆向和尚が高野山より移植してきたといわれている樹齢数百年の古木です。言い伝えではこの木に登れば失明する、あるいは、かつてこの槇を切ろうとしたところ仏罰を蒙ったとも言われるなど、畏敬の念をもって大切にされてきたことが判ります。またこの槇は薬師如来の化身だとされ、薬師堂を建立し薬師如来を安置し供養するようになったのも、この槇の木のためだといわれてもいます。
私見ですが
お寺に着くと、まず目に付くのが山門です。時代劇でしか見ることもできないような立派な門は、調べてみると既述の通りで「やはり…」と言うしかない歴史的な遺産です。世田谷区内では、代沢にある森厳寺もお灸で有名ですが、西洋医学が入る前にはお寺がお医者さんの役目も果たしていたのでしょうか。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★
寺院概要
【山号/院号】 日輪山/薬王院
【宗派、御本尊】真言宗智山派/大日如来
【所在地】 東京都世田谷区下馬2-11-6
【アクセス】 東急田園都市線、東急田園都市線 世田谷線三軒茶屋駅から徒歩15分
東急バス「西澄寺」
【開山】 天正2年(1574)年
【ご朱印】
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】
【SNS】 なし