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北口本宮冨士浅間神社

御由緒

 第12代天皇、景行天皇の御世40年(西暦110年)に日本武尊が東征された際、足柄の坂本から甲府の酒折宮へ向かう途中、最初の鎮座地となった大塚丘に立ち寄られ、そして富士の神霊を拝された時「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになったそうです。このお言葉から、大鳥居が建てられ、大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りしたのが、この神社の創建だと言われています。
 そして天応元年(781)に富士山が噴火をします。その際、甲斐国主だった紀豊庭朝臣が卜占を行い、延暦7年(788)大塚丘の北に社殿を建立しています。これが現在の鎮座地であり、浅間大神を遷座させています。そして、もう一方の祭神、日本武尊は大塚丘にお祀りされています。
 さて、この神社では御朱印が二種いただけます。北口本宮冨士浅間神社のものと、もう一つは境内社の諏訪神社のものです(2020/1/20に公式サイトを確認したところ大塚丘を加え三種となっています)。境内社としては最大ですが、他にも国宝を含め30社近くの境内社があるのにです。また、北口本宮冨士浅間神社では最大のお祭り「吉田の火祭り」も諏訪神社のお祭りなのです。他に30社近くある境内社の中でも格別の扱いとなっているのは何故か。
 この北口本宮冨士浅間神社が延暦7年に大塚丘から遷座してきたと書きましたが、この諏訪神社は建立された年代が不詳です。また、この地域の元々の土地神とされており、周辺地域の字(あざ)名も「諏訪の森」と呼ばれていましたのです。この事から、諏訪神社抜きに北口本宮冨士浅間神社が語れない状態だと推察されます。
 単なる摂社、境内社としてスルーせずにお参りしましょう。また、拝殿右手の摂社群は目に入りやすいのですが、本殿を回り込んでみると、東宮・西宮、また本殿真裏には左甚五郎作と言われる恵比寿神・大国神がにこやかに見守ってくれる恵比寿社もあります。ぜひ、少し時間にゆとりを持ってじっくり参拝してみてください。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

神社概要

【御祭神】 木花咲夜姫命、彦火瓊瓊杵命、大山祇神

【社殿】

【鎮座地】 山梨県富士吉田市上吉田5558

【アクセス】 富士急 富士山駅からバス

中央道 河口湖ICから3km

【創建】 景行天皇40年(110)

【社格】 県社、別表神社

【境内社】 諏訪神社、八幡社、恵比寿社、神武天皇社、東宮、西宮、小御嶽遥拝場、祖霊社、日之御子社、池鯉鮒社、倭四柱社、日枝社、日隆社、天津神社、国津神社、愛宕社、天満社、神馬舎、三殿社、三神社、風神社、下諏訪社、子安社、青麻社、稲荷社

【例祭】 5月5日(鎮火祭は8月26-27日)

【氏子】

【ご朱印】 あり

※  境内社 諏訪神社、大塚丘の御朱印も受領可

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

  • 芸能
  • 酒造
  • 養蚕
  • 夫婦和合
  • 夫婦円満
  • 家族円満
  • 子授け
  • 安産
  • 子育て
  • 縁結び
  • 良縁
  • 起業
  • 事業繁栄

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

2019年、初めての火祭り見物をしています。
早い時間から、金鳥居周辺や扶桑教、神社内に大きな松明が置かれています。また、辻々には松明とは別に櫓に組んだ大小の薪も置かれていて、街中がお祭りの始まりに気もそぞろな雰囲気に満ち溢れています。
とりあえず、金鳥居から北口本宮へと向かって歩いていると、通り沿いの店や御師住居の前には屋台も準備されていて、歩道はとても歩ける状態ではなくなっていて、自動車と人とが車道を分け合うように通行しているのです。
北口本宮内では、予定の時間通りに本殿、諏訪神社での神事が執り行われ、それを神職、消防団や担ぎ手、そして花火の号砲が仕切っていきます。報せがあれば、外国人の観光客でも脱帽し、頭を下げなければならないのが判るほど、なにか異様なほどの威厳が感じられる光景でした。

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