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祥雲寺
由緒
現在の溜池付近の赤坂ツインタワー付近が福岡藩中屋敷だったころ、戦国武将の黒田長政の子で筑前福岡藩2代藩主で黒田騒動でも名を知られる黒田忠之が江戸の黒田家菩提寺として建立されたのが祥雲寺です。
開山当初は長政の戒名から竜谷山興雲寺と号していました。また開山は長政が帰依していた京都大徳寺の164世住持であった竜岳宗劉和尚としています。
江戸時代は関東に臨済宗大徳寺派の触頭、つまり最高位寺院とされた由緒があり、歴代将軍も数多く来訪している記録が残されています。
寛永6(1629)年8月、麻布市兵衛町に新地を拝領し移転、瑞泉山祥雲寺と改称しています。寛永8年(1631)には大火で類焼し渋谷の現在地へ移転しています。
竜岳以来歴代の住職は寛文7(1667)年から、塔頭の景徳院と霊泉院から各年輪番で務めていましたが、明治になって廃されています。
明治元年(1868年)の上野戦争では、幕府陸軍奥詰銃隊が祥雲寺に参集したそうです。これに対して日向佐土原藩、伊勢津藩兵が攻め込もうとしましたが、到着前日の5月15日に彰義隊が撃滅され、奥詰銃隊も撤収したため戦乱に巻き込まれることはありませんでいた。
昭和29(1954)年8月14日朝、渋谷区特殊小学校の児童が本堂に放火し全焼しています。
境内には廣尾稲荷神社の墨龍画を描いた高橋由一の墓所もあります。
寺院概要
【山号】 法界山
【院号】不断院
【宗派、御本尊】浄土宗/阿弥陀如来、観音菩薩・勢至菩薩、善導大師・法然上人
【所在地】 東京都渋谷区幡ヶ谷2-36-1
【アクセス】 京王新線 幡ヶ谷駅から徒歩8分
京王線 笹塚駅から徒歩9分
【開山】 寛永17(1640)年
【ご朱印】
※ 特記なし
【ご朱印帳】 なし
【HP】 オリジナル
【SNS】 なし