小網神社

強運厄除の龍・東京銭洗い弁天

御由緒

 小網神社の境内地には、わずか15歳で村上天皇の法華八講の一人に選ばれた恵心僧都源信(942年〜1017年)が編んだ萬福庵という草庵があり、観世音と弁財天が祀られていました。
 文正元年(1466年)、疫病が流行った中、草庵に海上で網にかかった稲穂を持った網師の翁が庵を訪れ数日間泊まらせて貰ったそうです。するとある夜、恵心僧都が庵主の夢に現れ「この老人を稲荷神として崇めれば、疫病は退散する。」というお告げしたと言います。不思議なことに朝になると老人の姿は消えていて、庵主はさっそく稲荷神を祀る神社を建てました。すると立ちどころに、疫病も収まったと言います。この話は領主の太田道灌にも伝わり、草庵に土地を寄進し小網山稲荷院萬福寿寺と名づけたと伝えられています。更に慶長年間(1596~1615年)には、周辺地域が小網町と名づけられ、神社が氏神とされたそうです。
 明治に入ると、神仏分離で小網神社は萬福寿寺から分離し、明治6(1873)年に村社に劣化くしています。
 大正12(1923)年、関東大震災が神社を襲います。社殿などは火災によって焼失してしまいましたが、宮司が稲荷大神や弁財天等の御神体を抱え、近くの新大橋に避難しました。近隣すべてが焦土と化した事から、大量の人が押し寄せてきた新大橋でしたが不思議と混乱せず、また橋も落ちることもなく、ここで大勢の人の命が救われました。この当時の様子は新大橋の袂にある避難記念碑に「小網神社の御神体を伏して拝み、加護を願った」と記録されています。
 昭和4(1929)年、現社殿・神楽殿が再建されていますが、これは大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門によるものです。幸い、戦禍も免れた事から、日本橋地区に残されてた唯一の戦前制作の木造神社建築となっています。特に向拝には昇り龍、降り龍の見事な彫刻が施されていて、「強運厄除の龍」として崇敬されています。

 関東大震災を宮司とともに逃げ延びた弁財天(市杵島比賣神)像は、同じ境内にあった萬福寿寺に安置されていたものです。満腹寿寺の廃寺に伴い、明治2(1869)年、神社へと遷座しています。現在も、萬福舟乗弁財天と呼ばれています。
 また、境内には「銭洗いの井」があることから、現在は「東京銭洗い弁天」とも呼ばれています。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

神社概要

【御祭神】 倉稲魂命(お稲荷大神)、市杵島姫命(弁財天)、福禄寿、他

【社殿】

【鎮座地】 東京都中央区日本橋小網町16-23

【アクセス】  東京メトロ 人形町駅から徒歩5分
都営地下鉄 人形町から徒歩7分
東京メトロ 水天宮前駅から徒歩10分
東京メトロ 茅場町駅から徒歩15分

【創建】 文正元年(1466)

【社格】旧村社

【境内社】東京銭洗い弁天の社

【例祭】 5月28日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 日本橋七福神の御朱印も受領可

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

強運、厄除け、金運上昇

参拝記

 日本橋七福神の中でも、水天宮と並んで、いや今ではNo1の参拝客で賑わうのが小網神社です。10年ぐらい前、なんとなく迷い込んだ時には、並ばずとも銭洗いでも御朱印でも頂けたのが嘘のようなのです。
 広くない境内なので、行列はすぐに路上にまで伸びてしまいます。

 そんな境内には、福禄寿、そして銭洗いの弁天様がちんまりと鎮座しており、順を追ってお参りしないと、人混みをかき分ける迷惑客になりそうな勢いです。そして、金運に良いとされるだけに特に中国からの参拝客も多いように見受けられます。また御朱印の仕上がりを呼びかける声と相まって、都内でも有数の喧騒に包まれた神社という印象です。

ひと足伸ばして

ギャラリー

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