浮島稲荷神社

御由緒

 創建に関する由来、由緒は不明な事の多い浮島稲荷神社ですが、概ね、2つの説に集約されるようです。
1. もともと現 喜多院の境内がある場所(星野山)にあった社を喜多院の建立に際して、現在地に遷座させた
2. 太田道灌の父である道真が川越城築城に際して城の鎮守として祀った
 です。
ところで、この神社が建つ久保は、地形が低い窪地を意味していると言われ、明治時代までは「浮島社」と呼ばれていた神社は、元来は一帯が田面沢と呼ばれる沼地で遠くからみれば神社の境内が浮島のように見えたための呼称と言われます。
 明治の初めに社号を「浮島稲荷神社」に改め、大正四年には本殿及び拝殿を再建しています。

 「川越城の七不思議」には、そんな浮島神社に纏わる説話があります。
『片葉の葦』
 浮島稲荷神社の裏側一帯は、萱や葦が密生した「七ッ釜」と呼ばれる湿地帯で、ここに生える葦は不思議なことに片葉です。
 川越城が敵に攻められ落城寸前に、城中から姫が乳母と逃げのび、ようやくこの七ッ釜のところまでやって来ましたが、足を踏みはずしてしまいました。姫は、川辺の葦にとりすがり岸にはい上がろうとしたところ、葦の葉がちぎれてしまい、姫は葦の葉をつかんだまま水底へ沈んでしまいました。この辺の葦は、この姫の恨みによってどれも片葉であるといわれています。
『人身御供』
 川越城築城の際、太田道真・道灌父子は、北・西・東、三方の水田が泥深く、築城に必要な土塁を完成できず苦心をしていました。そんな中、龍神が道真の夢枕に立ち「明朝一番早く汝のもとに参った者を人身御供に差し出せばすみやかに成就する」と語りました。
 道真は、龍神に約束をしたのですが、明朝一番早く現れたのは、最愛の娘の世禰姫だったのです。龍神と約束したとは言え人身御供に娘を差し出すことが出来ません。しかし、姫はある夜、城の完成を祈りながら七ッ釜の淵に身を投げてしまったのです。すると川越城はまもなく完成したといいます。

お気に入り度
 ★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

神社概要

【御祭神】 倉稲魂命

【社殿】

【鎮座地】 埼玉県川越市久保町626

【アクセス】 秩父鉄道 行田市駅から徒歩5分

【創建】 不詳

【社格】

【境内社】

【例祭】

【氏子】

【ご朱印】 なし

※  特記なし

【ご朱印帳】 なし

【HP】 埼玉県神社庁

【SNS】 なし

地図

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