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慶元寺

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御由緒

 文治2(1186)年と言いますから、鎌倉幕府成立以前に源頼朝の御家人として戦でも活躍した江戸太郎重長が現在の皇居付近に創建したのが慶元寺の始まりです。
 この当時は岩戸山 大沢院 東福寺という天台宗のお寺でした。
 その後、江戸氏が没落し江戸城の主が太田道灌に変わると、江戸氏はその拠点を現在の喜多見へと移転させます。東福寺もこれに従って応仁2(1468)年に喜多見へと移転。そして天文19(1540)19世 真蓮社空誉上人が中興開山となって浄土宗に改宗され、名前も現在の永劫山 華林院 慶元寺とされました。
 さてそもそもの江戸氏ですが、江戸時代に入ると喜多見氏に改姓し徳川幕府に旗本として仕えます。そして喜多見氏初代の喜多見勝忠に依って寺は文禄2(1593)年に再建され、寛永13(1636)年11月9日、徳川家光より寺領10石の朱印状を受けて格式ある寺院となりました。
 しかし、宝永年間(1704年〜1711年)に火災が襲い、多くの寺宝を失ったのですが、1716年に本堂を再建します。この本堂が現在も見られるもので世田谷区内の寺院建築物では最古と言われています。
 この様に移転や火災がありながらも、現在も江戸時代に造られた山門や鐘楼堂が残され、またこの周辺の聖域で多く見られる古墳、喜多見古墳群中の慶元寺三号墳〜六号墳まで3基の古墳があります。

私見ですが

 お寺の周囲をぐるりと歩くと、その大きさが判りますが(Google Mapのせいで遠回りしたおかげ)、それが歴史の示すお寺の格式の顕れなのでしょうね。
 ところが、御朱印をお願いすると「今、書けるものがいないので」とのお返事。普通、これで「では出直します」と返事して辞去するのが常ですが、こちらでは「もしよろしければ、御朱印帳をお預かりして夕方には戻るはずですから、その頃にいらして頂ければ」と続けられました。常時、神社・お寺それぞれ用に予備を含めて4冊の御朱印帳を持ち歩く私の返事は「えっ、そんな事をお願いしても大丈夫なら、全然待ちます!」でした。今まで、こんな対応をして頂けたのは慶元寺さんだけ。なんともアットホームというか、温かみを感じる事ができました。もちろん、お気に入りのお寺です!

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

寺院概要

【山号/院号】 永劫山/華林院

【宗派、御本尊】浄土宗/阿弥陀如来

【所在地】 東京都世田谷区喜多見4-17-1

【アクセス】 小田急バス 喜多見住宅、小田急・東急バス 次太夫掘公園

【開山】 文治2年(1186)

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 なし

【HP】 なし

【SNS】 なし

地図

寺院お得意の御利益

ひと足伸ばして