大島稲荷神社

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俳聖ゆかりの神社

御由緒

小名木川流域は、水運が盛んな江戸時代には交通の要衝でしたが、その一方で洪水などの水害に悩まされる土地でもありました。この解決策にと土地の人達が話し合い、江戸時代初期の慶安年間に京都 伏見稲荷大社から御分霊を奉還し、産土神としてお祀りしたのが始まりと言われています。
御祭神には、宇賀之御魂神の他、同じように「太郎稲荷大神」の名が見えます。この太郎稲荷、元々は入谷に祀られていた神様です。江戸時代、柳川藩立花家下屋敷にあった邸内社でしたが19世紀初め、立花家の嫡男が流行の麻しんに罹ったものの、太郎稲荷のお陰で軽く済んだと言う評判が広がり、一時は上野寛永寺よりも参詣客が集まったという謂れのある神社のご祭神で、落語「ぞろぞろ」にも霊験あらたかな神社として登場します。
しかし、明治に入り、民間に土地が払い下げられるようになると、これを商業地として開発しようとした新しい地主が「よく判らない神様がいるのは…」と気味悪がり、明治30(1897)年、大島稲荷神社に合祀する事になったそうです。(但し、今でも入谷に祠は残されているとのこと)。
また、稲荷とは別に迦具土之命も祀られていますが、こちらは昭和19(1944)年6月に丸八通り・丸八橋付近に鎮座していた愛宕神社から合祀されたもののようです。この愛宕神社は、小林一茶の『享和句帖』に「江戸本所五ツ目大島 愛宕山別当 一茶園雲外」と書かれ、享和3(1803)年からの1年間、神社内に暮らしていた様子が伺えます(但し、大島2丁目にある愛宕神社を指しているのではないかとも言われています)。
そして俳句と言えば松尾芭蕉ですが、元禄5(1692)年9月29日に深川から小名木川を下り門弟の桐奚の居宅を訪れる途中、神社に参拝して読んだ句が

秋に添て行はや末は小松川

で、境内にある女木(おなぎ)塚に、この句が刻まれています。俳諧の二大巨人の足跡がクロスしているのも、この神社の特徴…ポイントかもしれませんね。

私見ですが

この近隣には関東大震災以上に、昭和20(1945)年の東京大空襲の記憶が深く刻まれているようです。初参拝の際に伺ったお話では、目の前を流れる小名木川の川面いっぱいに業火から逃れようと飛び込み、亡くなった方々の遺骸が浮かんで、まるでクジラのように見えたそうです。また、神社もこの空襲で焼け落ちましたが、御神体などは土に埋めて焼失を逃れたそうです。
そんな悲しい現実世界を見守り続けて、今も残る神社には、なんだか江戸の香りが漂っているような気がしてなりません。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

神社概要

【御祭神】 宇賀之御魂神、太郎稲荷大神、迦具土之命

【社殿】 権現造

【鎮座地】 東京都江東区大島5-39-26

【アクセス】 都営新宿線 大島駅から徒歩6分

【創建】 慶安(1648〜1652)年間

【社格】旧村社

【境内社】

【例祭】 9月19日

【氏子】

【ご朱印】あり

※ 特記なし

【ご朱印帳】

【HP】 オリジナル

【SNS】

地図

神社お得意のご利益

家内安全、商売繁盛、交通安全、厄祓い、火災消滅(愛宕の神様)、学業成就、身体健全、病気平癒など、諸々の心願成就

参拝記

ギャラリー

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