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世田谷八幡宮
宮の坂八幡様
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御由緒
第73代 堀河天皇の御代、寛治5(1091)年、後三年の役からの帰途、源義家は世田谷の里で豪雨に足を止められます。天候回復を待つこと何と十数日間と長い滞在となりました。義家は信仰心の篤い武将として知られていますが、この雨を機に戦勝は守神として信仰する八幡大神様の御加護だと感謝し、豊前国の御分霊を世田谷の地に勧請して、八幡大神と称えて盛大なる勧請報賽のお祭りを執り行いました。これが世田谷八幡宮の始まりと言われます。そして義家は世田谷の人たちに御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えた、と云われている。
世田谷八幡宮には立派な土俵がありますが、これは、この勧請報賽の時に配下の兵に奉祝相撲を取らせた事という伝承から、今も例祭で神事の奉納相撲をとるために使われています。
さて、近隣には世田谷城跡がありますが、ここを天文年間に治めた源朝臣頼貞(頼康)が大檀那として、社殿を修築造営し、正遷宮を行った記録があり、この時、寄進された備前雲次の太刀(二尺三寸)一振が社宝として残されています。このように神社は吉良家祈願所とされ、神職も家老職大場家の系譜から務められたのですが、天正18(1590)に起きた豊臣秀吉の小田原征伐により吉良氏は後北条氏と共に滅亡してしまいす。
天正19年(1591)、江戸城に徳川家康が入城してきます。吉良なき後の世田谷八幡宮に対して、源氏の流れを汲む家康は旧社領11石を朱印地として安堵します。
明治5年には郷社に列格し、社号を「宇佐神社」と改めます。しかし終戦後、社格の廃止と共に朱印状などの文献を参考に元来の世田谷八幡宮へと戻されました。
現在見られる社殿は昭和39(1964)年5月に改築されたものです。
私見ですが
世田谷区内では最大級の神社で、境内社の配置も社叢も程よい感じ。シーズンにはサギソウも見られ、また境内に上がる途中で見られる土俵も、この神社の歴史を物語っているようです。近隣の豪徳寺に目が行きがちですが、合わせてお参りして頂きたい気持ちの良い神社です。
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★★
神社概要
【例大祭】10月第2日曜日
【鎮座地】東京都世田谷区宮坂1-26-3
【創建】 寛治5年(1091)
【HP】 オリジナル
【便利なアクセス】東急世田谷線 宮の坂駅から徒歩3分
【Twitter】@setagaya8mangu
地図
参拝記
この神社で思うのは、春に行けば「春が一番」、秋に行けば「秋が一番」と思うのに、真夏に行くと「夏が一番」と思うのです。これ、緑の濃さのせいでしょうか。
そして、いつもいつも広い境内を掃き清めていている姿を見ると、それすら神々しい神事に見えてきます。
その境内には幾つもの境内社の他、神池に土俵、そして世田谷区のシンボル「サギソウ」も植えられています。そう…サギソウのシーズンが一番かも?
神社お得意のご利益
- 勝運
- 開運
ひと足伸ばして
世田谷線「宮の坂」駅を降りると見える鎮守の杜。その手前にあるのが「宮の坂」という、世田谷八幡宮に因んだ少し急な上り坂です。
豪徳寺の最寄り駅として知られる宮の坂駅ですが、世田谷八幡宮の駅だと思いたい命名です。
当然、ひと足伸ばせば豪徳寺にお参りが無理なくできる距離感ですし、宮の坂を登っていけば「豪徳寺」駅の駅前でランチやお茶に不自由しません。(ただ、世田谷線で一駅乗った山下駅が豪徳寺駅との連絡になっていますけども…)。
世田谷最大級の神社。大きいだけではなく、施設も整っていますし、清浄で静謐な雰囲気が私の好み。と言ったら失礼でしょうか。
